年末からこちら、ずっと観たくて観たくて。
やっと訪れたこの機会、神様に感謝しつついそいそと出かけました。ユナイテッド・シネマ。
平日なのでもしかして貸し切り?と思いきや、上映時間すぎに広告放映中ひとりふたりと入ってきました。
私含めて6名での上映会。平日だしコロナだし。こんなもんでしょうか。
さあ、始まって、新しいヒロイン?可愛いしアクション凄い!敵に追われてビルから飛び降りるシーンは圧巻でした。
開始早々見せてくれますねえ、と思いきや、30分を超えた頃でしょうか、
お隣から、スースー健やかな睡眠時と思しき呼吸音が…あらら
ネオがこれは現実なのか妄想なのか?迷って迷っているあたりがお隣が夢の世界に入るくらいクドクド描かれます。
60分を超えたあたり、私にも強烈な睡魔が襲ってきました…。
かつて人類の存続と天秤にかけられてまで選んだトリニティーがまだマトリックスにつながれっぱなし!
ネオがトリニティーを取り戻そうとするあたり、どうしても取り戻すって感情移入ができなかったからかなあ。
そんなマトリックス世界に、今回は日本も出てきました。どんだけ広い仮想空間なんだろう。
仮想空間だから重力やこの世界の法則は潜在意識に刷り込まれた思い込みに過ぎなくなるので
潜在意識の思い込みに縛られている普通の人は、肉体を現実世界において仮想空間にログインした状態で
仮想空間で殺された場合、現実世界でも同じように肉体にダメージを食らって死にます。
潜在意識が自分自身を殺すことは、オランダの囚人を使った実験で有名ですよね。
クリストファ・ノーランのインセプションもやっぱり仮想空間の死は現実の死と直結してました。
つまり、潜在意識の思い込みさえクリアすれば、
仮想空間の重力の法則を無視して空を飛ぶこともできる
(つまり、仮想空間のプログラムに思念でアクセスして力づくで重力に関するプログラムを書き換える?)
ネオはハッカーだったので救世主になり得た(他にも色々)のだけど、
今回、トリニティーも空を飛んでしまいました…。
逆にネオは飛べなくなり、終始優柔不断で助けられてばかり、
カメハメ波(!)を防御と武器に戦っていました。
そして、オチは「最後に愛は勝つ」だったのでした。
以前、マトリックスの評論で岡田斗司夫さんが、
「ウォーシャウスキー姉妹のトランスジェンダーとしてのマトリックス世界という見方」
とおっしゃっていらしたのですが、
そういう見方をしても、今回のアクション、火薬倍増でミサイルビュンビュン爆発ボカンボカンして凄いのですが、
その後のカタルシスとしてのラブシーンでも、ラナ・ウォーシャウスキーのヤケクソ加減がチラ見えするような。
実際、作中で続編をワーナー・ブラザースから強要されて作らざるを得ない、というような隠喩(?)もあり、
最後のスタッフロールを見終わった後、「猫を出しとけばヒットするから、キャットリックスで!」というようなおまけカットが入っていたり。
とはいえ、
直前に読んでいた「サピエンス全史」で認知世界と現実世界の概念を知った私は、
機械→無機質(鉄、銅、シリコン、etc)上を電気信号で織りなすマトリックス世界と、
人間の脳内→有機質(炭素、水素、窒素、etc)上を電気信号で織りなす認知世界。
えー?マトリックス世界と認知世界、違いは人間に意識があるってことだけ?
でもマトリックス世界の住人(機械側のプログラム)も意識を持っている描写がされています。
では、マトリックス世界が偽物というロジックはもはや通用しないのであれば、
現実の認知世界でも、思い込みさえ払拭させれば空も飛べるはず。
ウォーシャウスキー姉妹もこの世に女性の肉体で生を受けたはず。
そう、現実の認知世界も全て人類共通の思い込みに過ぎないから、
いつだってプログラムの書き換えは可能なのです!
これが、ラナ・ウォーシャウスキーの少々やけっぱち気味な結論ではないかと思う次第であります。